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常識という概念を考えさせられた話

私には11歳離れた兄がいます。

兄は昔から私とはあまり馬が合わなくて、今でも兄の考え方がちょっと違うと感じます。

基本的には優しい人なんですけれどね。

先日、実家の片付けの話を電話でしていました。

実家は売却する予定で、動けない兄の代わりに私と主人が主に片づけているところです。

まだたくさんの荷物が実家にあるのですが、最初から一番悩んだのが「仏壇」でした。

兄は心の病から今はグループホームに住んでいるので、大きな仏壇を譲り受けることはできませんし、私も実家の仏壇を引き取る訳にもいきません。

仏壇は両親がとても大事にしていましたので、サイズを小さくしてもらって再利用しようかとも考えましたが、かなりお値段もするので諦めました。

そして、お世話になっていたお寺さんに魂抜きもしていただいていたので、処分することにしました。

そのことを兄に伝えると、他の人に使ってもらったらいいんじゃないか、というようなことを言い出したんですね。

仏壇を誰か他の方に譲る、なんて発想はまずない選択だったので私は度肝を抜かれました。

正直、あり得ない、と思うのが普通だと思うのですが、、。

けれどそこで、私の中の常識は仏壇を誰かに譲るなんてことはあり得ないけれど、ごく少数の方にも兄のように思う人がいるかもしれないな、とふと思ったのです。

私の常識がみんなの常識ではないかもしれない、と。

調べてみると、仏壇の再利用というのはあるようです。

ただやっぱりあまり需要は少なそうですし、日本人的には中古の仏壇ですし、いくら魂抜きをしているからと言え何となく気持ちが良いものではない気がしますよね。

「仏壇」は極端な話ではあるのですが、「常識」と考えることそのものを疑う必要がある時もあるのではないかな、と思いました。

当たり前と思っていることが実は当たり前じゃないこと、ありそうな気がしませんか。

こんなこと言ってますが、兄には「そんなん、常識では考えられへんで。」

なんて言ってしまいましたが。。^^;

相手が誰であれ、同じ意見を持っているとは限りませんもんね。

いろんな考えがあってもいいのでしょうね。

受け入れられるか、受け入れられないかは別として。

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