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嘘のような本当の話

「ありがとう」と言う言葉は魔法の言葉、と聞いたことがあります。

「ありがとう」と言ったり、言われたりしても気持ちのいいものですよね。

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感謝ワークを始めてみた

感謝ワークは周りの人や色々な事柄を見つけて、それに感謝をすること。

どんな小さなことでも、ありがたいし、感謝ができるって素敵ですよね。

実は、知り合いの方に誘っていただいたのがきっかけで、感謝ワークを始めました。

毎日、ありがたい、感謝したいことを10個ほど書くのです。

最初はなかなか思いつかなかったのですが、グループワークで、他の方の投稿を見て真似をさせてもらったり、ヒントをいただいたりして、毎日の感謝を探していました。

当たり前ではない当たり前

母がよく、平凡な毎日がいちばん幸せなのよ。

なんて言ってましたが、その当時はその意味がわかりませんでした。汗

感謝ワークを始めて、住む家があって、寝る場所もあって、お水も飲めるし、ガスも電気も使えるということも、ありがたいものだと改めて気づくことができました。

家があって当たり前になっていたし、水道の蛇口を捻ってお水が出てくることも当たり前だと感じていたんですね。

ひとつひとつ、改めてありがたいことを見つけていくと、この環境で暮らせることが本当にありがたいことなんだと気づけるようになったんです。

些細なことが気にならなくなった

ありがたいこと、感謝なことにフォーカスすると、今までの自分は感謝が足りなかったと思えるようになりました。

些細なことで主人に一方的に責めるように言ってしまったり、機嫌が悪くなったり、子どもは意図的にしたことではないのに、小さなことに怒ってしまったり。

自分本位で、家族を(家族だけじゃないかも。。。)振り回して自己嫌悪にもなるし、いいことないですね。

元気で日常生活を送ってくれているだけでも、本当にありがたいことなのに。

感謝の気持ちから離れてしまうと、見えるはずのものが見えなくなってしまうのですね。

家族の存在がどれほど大切なのかも気づけるようになったのも、感謝ワークのお陰です。

以前に、感謝の反対は、当たり前なんだよ。と聞いたことがありましたが、すっかり忘れていました。

見ず知らずの方から、お年玉⁉︎

感謝ワークに誘ってくださった方が、「ありがとう」を1000回いうことにチャレンジしているとお聞きし、面白そうだなと、私もできる時にやってみることにしました。

「ありがとう」を1000回唱えると、奇跡のようなことがあるそうです。

ちょうど去年の12月ごろのことです。

毎日、スキマ時間に「ありがとう(ございます)」を唱えるようにしていたんですね。

年末のぎりぎりに、親子でいつもの美容室に行き髪のカットをしてもらった帰りです。

その日は、いつもと違う電車に乗って帰ることにしました。

改札口からすぐの階段を降りるときに、子どもに見ず知らずの方がマスク越しですが、にこやかに挨拶してこられて、こちらも挨拶をしたんですね。

その方は、体格の良い綺麗な身なりをされた初老の男性でした。

電車が来て乗り込んだ後も、お喋り好きなのか、子どもに色々とお話をかけてくださっていたんです。

子どもは、知らない人だし、ちょっと警戒していたようですが。笑

悪い感じの方ではない気がしたので、私は相槌を打ったりしながら、お話を聞いていたんですね。

すると突然、「この子はいい子や。こんな時期(年末)やからな。」と言って子どもに1000円渡そうとされたんです。

流石に何回かお断りしたのですが、あまり断るのも失礼かなと思って、子どもにですしと思っていただくように子どもに伝え、有難くいただくことにしたんですね。

まさかの出来事にびっくりしながらも、降りる駅までまたお話は続きました。

お孫さんのお話や、お家のこととか。

全然説教じみたお話などはされず、私の子どもを何故か褒めてくださっていました。

きっと色々あって、私や子どもがお話を聞いただけでも、その方にとっては良かったのかもしれません。

とにかく、びっくりなことが起こったんですね。

私は勝手に、「ありがとう×1000回」の効果だと思っているのです。

ですから、「ありがとう」を唱えることでいいことって起こると本当に思っています。

信じるものは救われる、でしょうけれども^^

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